ワクチンの話
まずはid:warblerさんの記事
予防接種で自閉症になるってホント? - warblerの日記
を読んで、僕の母親がワクチンとか打たんでいーよということを強く言っていた理由が分かった。たぶん。母親は割と薬を嫌いとするタイプの人間で風邪ひいたときとかも病院にはかからず自宅で寝て治すって感じの対処が基本だった。
で、redditでまたimgurに投稿されたこんな写真が話題になってて
Remember the good old days before vaccines ruined our children? - Imgur
“子供たちがワクチンで汚染される前の古き良き日を覚えてますか?”って何の写真なんだろうと思って調べたら
というものらしく要はポリオウィルスで大変ですよってときの写真の模様。
ポリオは確かポリオワクチンで収まったって書いてあった本を昔読んだのを思い出して、この投稿の意味するところはワクチンは必要じゃないの?ってことだろう。
予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)
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以下はredditユーザーのgeezerLXIVさんのコメントの和訳
私はたくさんの人々がポリオにかかっていた時期に育ちました。たくさんの子供が下肢装具や松葉づえをついてました。Salkワクチンは大嫌いで、それは(子供にとって)大きな針で注射するワクチンだったからです。そしてその注射は50年代に最も打たれました。その痛みは地獄みたいでした。その後Sabin生ワクチンが経口投与型の強力なワクチンとして出現しました、それは通常角砂糖と一緒に用いられました。“Sabinの日曜日”がプログラムとして使われていました。あなたは3ダースを異なる週に摂取しなければならなかった(私の記憶が正しければ)。下肢装具をつけた私の親友はそれを家に極めて速く持っていきました。
25年間冷蔵庫で放置されたイースターエッグ
redditでimgurに投稿されたある記事が話題になっている。
25 year old easter egg - Imgur
撮影者によると、この卵は自身が8歳の時に祖母によって作られたイースターエッグで、現在撮影者は33歳とのこと。
写真は卵の殻の様子と、割って中身を取り出している所など5枚
- 「黄身はファンキーな匂いだけど、鼻穴に近づけない限りはたいしたことない」
- 「なんで俺はこんなモンを触ってんだ?」
というコメント付で紹介している。
この写真を見たimgurユーザーは
- 「けどマジなトコなんでこの卵をずっと取って置いたんだ?」
- 「君のおばあさんが君が25歳になるまでこのクッサイ卵を取って置いたのか?彼女は君のことをとても愛していたか、それともとんでもなく忘れっぽいかのどちらかだね。」
- 「そいつを食え」
といったコメントを寄せている。
新年が来た
あけましておめでとうございます。
もはや惰性で生きているシアワセを今後ともよろしくお願いします。
皆様にとって2015年がまぁまぁいい感じの年になってくれればいいなぁとぼんやり思ったりします。はい。オーバー。
(↑は僕におびえてハウスから出てこない親戚の家の犬)
トイレにうんこしに行ったら手洗い場で歯磨きしてる人がいてつらい
そんなん気にせず俺はブリブリうんこしますよーって感じで澄まし顔で大便ルームに入ってバタンと扉を閉める。
不快な音と匂いが発生することになるだろうけどそれは仕方ないことで音を抑えたりする配慮は一切しない。大義は自分にある。トイレではうんこをする人がもっとも強いのだ。むしろ俺は歯磨きマンに出ていってほしいとさえ思ってしまう。彼には罪こそないものの俺は大便は一人でじっくりと行いたい主義なので、歯磨きマンの存在は俺にとっては邪魔でしかない。かといって無理やり追い出すことはできない。ではどうするか?自然と居心地が悪くなるよう誘導してやるのだ。より強い音と匂いを発することで自分の存在をアピールし「うわぁくっさいしねよ…」と思わせることでさっさと歯磨きを切り上げてもらう狙いだ。俺は力強くうんこをする。眉間にしわを寄せ、顔の前で両手を組み合わせ、自然と祈るような姿勢になると、確かな祈りの言葉が頭にはっきりと浮かぶ。
「でていってくれ」
そのとき世界が終わるような音が鳴り響く。
あまりに最悪な音なので自分でうっわとドン引きするし良心がいたむしで良いことないので今後はできる限りサイレントな奴にしようと心を入れ替えました。
【悲報】明日の天気、雪。
自殺したい理由
僕はしょっちゅう死にたくなるけどその程度は軽いものから重いものまでいろいろあって死にたくなったりそうでもなくなったりを繰り返している。
死にたい気持ちは大抵夜に強まってくる。
その原因は何だろうかと考える。
- 自分の気持ちを理解してくれる人が周囲に少ないと思う(→もちろんそれは自分が周りに理解してもらうようにする努力を怠っているからである)
- 生きていても意味がないと思う(→自分の社会適応能力や様々な能力が低いと思っている)
- 親に経済的負担がかかる(→生活費を親に出してもらっている
こういう感じの死の肯定材料がある。
まぁ要は悲観的になる事である。まぁそれはしょうがない。ほとんどは事実から推測されるしそうなる可能性が高いことなのだ。
生の肯定材料はどんなものだろう。
- 自分が誰かの役に立っているとき
- 心を動かされたとき(音楽や本を読んだり、何かを見たとき)
パッと思いつくのはこの二つで、じゃあこういうのをどんどんやっていくようにするかと思う。
良く晴れていた昼頃に美しい紅葉がにわか雨に濡れてきらきらして空には大きい綺麗な虹がかかったこととか。
道に落ちているごみを拾うとか。
そんなことか。
祖父母は元気。
Dont Worry, About A Thing-Bob Marley | Flickr - Photo Sharing!
土曜日の夜7時ぐらいにアパートでネットを眺めていると携帯がブブブっと鳴りだして、おじいちゃんから電話が来たなーと思う。
前の記事に書いた通りお決まりの内容を言われるんだろうなとわかってるけど今回はすぐにとる。というのも、そう、もしかしてもうボケてるかどうかってのがすごい気になってしまって確認したかったからだ。前の記事書いた後に、もしおじいちゃんやおばあちゃんがボケて俺の事忘れちゃったら…と考え始めたらスンゲー悲しくなってしまって涙が止まんなくなってしまってそうなる前に色々話す事あるしやりたいこともあるしそれができなくなったら嫌なのだ。だから今回の電話ではおじいちゃんに定型的なことだけ言わせないで俺からいろいろ聞いてみてしっかしりしてるか確認するつもりだった。
俺「よう、○○(俺の名前)だよー」
祖父「おお、○○君かー、元気でやってるかー、最近寒くなってきたからなー、大丈夫かと思ってやー」
とここまではいつもの会話で
「そっちは変わりない―?」とか「車のタイヤ変えた?」とか「家の枯れた杉の木を切るっつってたけど切ったー?」とか「お姉ちゃんの就職決まったって聞いた?(就職浪人中で最近内定した)」とか近況について色々聞いてみた。そしたら完璧な答えを返してくれて、というか普通に自然に会話できるしまだまだ大丈夫じゃん!とほっとした。
特に祖父から祖母に変わってもらってに杉の木の話をしたとき、俺が「あの木は何年前くらいからあるんだっけねぇー」といったら祖母が「アレは私たちの結婚した2年後くらいに植えたやつだからもう50年くらい…」と相当前の記憶までばっちり答えてくれるのがもう嬉しくてしっかりしてるってわかってまだまだ元気でいてくれてるって安心してまた泣いてしまった。小さいころは良く学校に車で送ってもらったり買い物に連れていってもらってダダこねたり親に内緒でゲーム機を買ってもらったりそれがばれて祖父も怒られたりとかなんかもう迷惑かけた記憶しかないのだ。思い出に残ってるのは小学校の頃国語の本を読む宿題があってその音読を聴いてもらってハンコ押してもらったのは祖母だったことだ。俺は音読が好きで今でも好きな本を読むときはたまに音読している。だからそのやさしい記憶が俺にとってずいぶん大切で重要なものになってると気づいて祖父母への感謝の気持ちが大きくなる。そういうことに対する恩返しを何かしらしたいのだ。それは前にも書いたけどたくさん会話したりだとか何かを手伝ったりとかレールが外れかけている自分自身の生き方をきちっとすることで心配をかけないこととかそういうことだ。とりあえず今はまだ元気そうだということが確認できてとてもほっとしている。来週の連休は実家に帰っていろいろなことを話そうと思う。